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伊勢神宮を本宗と仰ぐ、神社本庁傘下の神社です。

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『石剱稲荷大明神』 について



瑳珂比神社は小此木(小柴)左衛門尉長光が創建するにあたり、生国能登(石川県)より石動明神(いするぎみょうじん、石動権現)を勧請したため、当初は石動明神または石動権現と呼ばれていたようです。その後、元亀3年(1572)に小此木左衛門次郎が石製の剣を奉納したため、『石動』 の字を 『石剱』 に改め、石剱明神(石剱権現)と称するようになりました。
天正18年(1590)、小田原合戦の後、小此木氏が常陸国は牛久の地に移り住むことになり、祭祀の主体が地元の人たちに移りました。この時、『石剱稲荷大明神』 と改めました。
明治40年(1907)、明治39年(1906)に布告された「神社合祀令」にもとづき、境内末社 菅原神社、八幡社、疱瘡神社、稲荷神社、神明社、並びに境町内の諏訪神社、八坂神社、秋葉社、琴平宮を石剱稲荷大明神【一つの社(建物)】に合祀、併せて 『瑳珂比神社』 に神社名を変更し、現在に至ります。
何故 『境神社』 または 『境稲荷神社』 ではなく 『瑳珂比神社』 の表記になったのかは不明です。
註 : 『剱』 の字体はコンピューターで表記できるものだけでも『剣』 『劔』 『劍』 『劒』とあるので『石剣明神(石剣権現)』 『石劔明神(石劔権現)』 『石劍明神(石劍権現)』 『石劒明神(石劒権現)』と表記できますが、当社では額にある 『石剱稲荷大明神』 の表記を用いております

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