本文へスキップ

伊勢神宮を本宗と仰ぐ、神社本庁傘下の神社です。

地元のことLOVAL

瑳珂比神社の門前町、南町の祭りを紹介します

以下 境町の祭り 境町史資料集第6集(民俗編) より抜粋です
南町の二十二夜様祭りは境小学校の北門通りの、東端の南側に、二十二夜様が祀られている。祠の中には御本尊として、宝暦年間(1751-1764)に造立されたという如意輪観音が納められている。二十二夜塔や二十三夜塔は、境町内の社寺の境内や、路傍の草むらの中にも数多く見られ、こうした信仰がかつては盛んであったことを偲ばせている。諏訪町にある二十三夜様の祭りも、かつては盛大に行われていたが、今では途絶えている。こうした中で、南町では現在でも二十二夜様の祭りが毎年行われ、信仰がこの地区の人たちの中に、生き続けているのである。
祭日や祭りの仕方には、長い年月の間に移り変わりがあったが、昭和60年9月14日に行われた祭りを中心にして紹介しよう。
まず祭日であるが、現在のように9月の第二土曜日となったのは、昭和58年からである。以前は旧暦の7月9日に近い、新暦の日の土曜日であったという。おそらく旧暦の時代には7月9日か、二十二夜の月齢の夜に行われたものであろう。
この祭りにかける願いは、安産祈願、7才位までの子供の無事息災の祈願、疫病防除、虫歯、眼病の治癒祈願などである。願を掛けた人は、そのお礼参りのときに、旗を奉納した。昔は土焼きのキツネを供える人もいたという。これは蚕の豊産を願ってのことであろうか。最近では、非行化した子どもの、健全育成を願って願掛けをしている人もいるという。ふだんでも生花が絶えることなく供えられている。
この祭りは、南町の区長、区長代理、会計、評議員(4名)、隣組長(11名、隣組は現在11組ある)が中心となって行われる。また、当日にはこのほかに、南町の全戸(79戸)から、各戸一人ずつ係員として参加する。
さて、祭りの当日は、午前9時に南町の会議所に集合し、準備に取りかかる。隣組全体を二つに分け、今年の場合は、1組から6組までが堂の飾り付け。また「行司」として、堂の傍らで鉦を鳴らしたり、参詣者にダンゴを配ったりする係となる。行司は3人くらいが1組となって、1時間交替で務める。7組から11組の人は、会議所でダンゴを作る係となる。ダンゴは南町の各戸から、コップ1杯(1合くらい)ずつの米を集め、これを粉にひいて1200個ほど作る。そして2つずつを白紙でおひねりにし、参詣者に渡す。このダンゴを食べると風邪をひかないという。戦争中から戦後にかけての、米が不自由なときには、ビスケットなどをダンゴの代わりにしたという。なお、この隣組の係分担は、1年ごとに交替となる。
祭りの準備は午前中に終わり、午後から参詣者が見え始める。参詣者は堂に用意してある線香をあげて拝む。そして、ダンゴを貰う。最もにぎやかになるのは午後7時から8時にかけてである。7時半ごろには長光寺の大澤住職の拝みがある。二十二夜様への供え物は、お供え餅(三升餅)、果物、花などである。昔は境小学校の校庭で八木節大会などが行われ、また、出店も並んでにぎわったという。
この祭りは信心者の賽銭や懇志(お包み金)によって賄われている。翌日は午前中に役員が寄り、祭りの後始末が行われる。供えた三升餅はこのときに細分され、「二十二夜様観世音菩薩」と記されたお札に添えて、懇志を納めた家に配られる。
本来、二十二夜や二十三夜信仰は「月待ち」とも呼ばれ、同業者が集まってお籠もりをし、その夜の月の出を待って、これを拝む信仰であった。こうした信仰の形を「講組織による信仰」という。月待ちには群馬県内の例を概観すると、十四夜・十六夜・十七夜・十九夜・二十一夜・二十二夜・二十三夜・二六夜があった。このうち二十二夜は十九夜とともに、女性を主体とした信仰で、その主目的は安産祈願にあった。このうち十九夜は東毛地方に、また、かけ離れは吾妻郡六合村と碓氷郡松井田町などに見られる。また、二十二夜は群馬県では県内中央部に広い信仰圏を持っている。全国的には、群馬と埼玉県北部地方が盛んである(『群馬県史』民俗2)。
南町の二十二夜様も、かつては女性を主体とした講組織による信仰ではなかったかと思われる。明治16年8月吉日に奉納された鉦には「境南町 講中」と彫られている。しかし、女性だけの信仰であったかどうかは確証がない。また、祭りの起源も現在までの調査では不明である。
信仰の内容や祭りの方法等は、時代により次第に変化をしてくるのが普通である。南町の場合も、少数の同信者による講に始まり、何かの機会から、男女を問わず町内全体の祭りとなったものと想像される。県内では二十二夜様の祭りを、現在でも行っている所もあるが、それも少数であり、衰微の傾向をたどっている。こうした点から見ても、南町の二十二夜様の祭りは貴重な存在である。
なお、境町は二十二夜と二十三夜地帯であるが、二十六夜行もかつては木島に見られた。これは紺屋(染色業)仲間による愛染明王を本尊とした信仰である。

ナビゲーション