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伊勢神宮を本宗と仰ぐ、神社本庁傘下の神社です。

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小此木の石尊さま祭り

大字小此木字新田の広瀬川堤防のそばに、石尊様を祀った石灯籠が西向きに立っている。浅間山の火山岩を積み上げた見事なものである。正面には「奉献」「石尊大権現」とあり、向かって右の側面には「当村中」と刻まれている。また裏面には安政6年(1859)6月吉日に、小此木新田の人々が建てた旨のことが、銘記されている。
石尊信仰は神奈川県伊勢原市の大山にある石尊宮がもとになっていると思われる。セキソンサマとも呼ばれている。江戸時代には、この山は修験道の山として、知られていた。また石尊信仰は、その名の通り、石(巨石)崇拝にもとづくともいわれている。小此木の石尊様が巨石で作られたのも、これに関係しようか。あるいは偶然の一致であろうか。同様な石灯籠は、平塚赤城神社の境内にもある。しかし、これは石尊様ではないらしい。
また、石尊様は阿夫利様とも呼ばれて、これを祀る神奈川の大山は雨降山ともいわれている。そして、農業神や雨乞い、また、商売繁盛の神として、関東一円に多くの信者を持ち、講も結成されている。小此木の石尊様も、こうした信仰内容から祀られてきたものであろうか。もとは「大山講」を結成していたのではないかと推測できる。
しかし、小此木の石尊様は「川の守り神」として今でも信仰されている。神の性格は時代や信仰する人々の願いによっても異なってくるから、石尊様が、川の守り神であってもよいわけである。まして、昔から広瀬と利根の洪水に苦しんできた小此木の人たちにとって、この神に「川を安全に鎮めてほしい」という願いをかけたことは、当然であろう。また、この村には広瀬や利根の船頭業を営む人もいたから、水上安全の神としても拝まれてきたことであろう。
邑楽郡千代田町地方でも、石尊信仰が盛んである。この地方では「作神様」、つまり農業の神として信仰されている。水田耕作や畑作の盛んな地方である。ここでは木製の灯籠が時期になると、幾本も村の要所要所に立てられ、灯がともされている。
小此木の石尊様の祭日は、7月28日である。この石尊様は小此木の新田組と北下新田の所有なので、両組にカマ番と呼ばれる祭世話人が2人(2戸)ずつでてきている(順番で1年交替)。祭りには地元の新田からカマ番の他に各戸1人ずつ、北下新田からはカマ番の2人だけが参加する。祭りの費用は現在1戸100円の寄付で賄われている。当日は灯籠に新しい注連縄が張られ、御神酒や豆腐などが供えられ、村人たちに拝まれる。このあと、人々は新田の世話人の家に集まり、手料理をご馳走になる。そして、この日から1ヶ月ほど、夕方になると新田の世話人によって、石尊様の灯籠に灯明がともされる。現在のように、河川工事が完備していなかったころは、この灯籠の光は、広瀬側を行き来する舟人たちにとって、灯台のように頼もしく思われたことであろう。まさに、水上交通の安全を守る神そのものに見えたに違いない。本来は常夜灯であったのであろうか。
このように石尊様は、比較的小地域の人たちによって祀られ、祭りの時期は夏季であり、また、長期間の献灯を伴うのが特徴である。千代田町では、10軒1組ぐらいで献灯されている。天保11年(1840)の境町「中沢家年中祭記」の6月18日の項に「今日より7月18日迄の間、門前へ大山石尊宮へ献灯ヲ上ケベシ」とある。門前とは中沢家の門前であろう。元町の一画にも中沢家を中心に石尊様が祀られていたことが分かる。
境町の祭り 境町史資料集第6集(民俗編) より抜粋

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